《音游通论》定义篇(日语版)

Client
CP28 - 《音游通论》定义篇(日语版)
Date
23.12.2023
Service
原创制品

本站前言

  • 在这里以及dlsite公开了《音游通论》从开头直到定义篇结束为止的内容.
  • 如果需要转载或复印,请注明出处。
  • 之后也许会在此处添加后续评论之类的内容。
  • 本作由中文版自行翻译为日文,并于Comic Market103公开。销售额倒是比印刷花出去的部分要多一些,毕竟是跨国把运费啥的匀回来肯定是不厚道的直接当旅游开支好了。稍微贴了点进去一起变成了mac mini Affinity全家桶和Logic Pro,也许以后会做点新的东西出来。不过比起这个,本次CM103得到的其它成果可能更加有趣一些。

CM103战果

  • 准备在这里介绍一下在会场中用本作进行有料制品交换之后收获的结果。
  • 大概是根据交换顺序排列的,因为是根据印象排列的,可能有些出入。 IMG 9474
第一本交换制品

IMG 9750 国人社团参加cm的情况似乎并不少?总之据互相自我介绍阶段得到的情报,似乎是cp29会场也遇到过的社团。maimaidx相关的画集的感觉。

家用电脑下落式音游比较

IMG 9779 CM会场上位于左手边社团的制品,因为有玩家托我带两本他们社团的谱面制作相关的同人志,顺着话题就问问有没有能用于交换的东西,于是换了本这个。但是好像是委托售卖,本人并没有到场,并没能和作者交流上,很可惜。

如封面所示,本作介绍了四款pc端下落式音游,其中Sixtar Gate:STARTRAIL我个人之前还真没听过,也许之后想起来的话可以试试看。

此外还介绍了各个音游的性价比、启动游戏到能够开始游玩的时间之类的内容。也介绍了家用环境搭建当中一些比较重要的东西,甚至介绍了凤凰台和K28。但是好像是委托售卖,本人并没有到场,并没能和作者交流上,很可惜。

俄罗斯方块世界杯发生了不得了的事情

IMG 9777 坐在右边拼桌的老哥的作品。

有关经典俄罗斯方块的历程的同人志,有些是作者在blog上发表过的内容进行编辑加笔之后的内容,或许可以简单称作文集。

观察了身边人的交换过程,或者说自我介绍、按照礼数献上新刊然后介绍一下作品的过程,观察过后算是把这套流程也抄来了。于是介绍了音游通论讲了啥以及怎么翻译的,他翻了翻之后发现参考文献第一条是他写的,非常开心。

不过还是先聊会儿本书,因为也确实关注过这方面内容(虽然只是刷刷视频),然后就手柄背后轮指多次触发平移操作改变游戏玩法发表了一下自己的观点。然后表达了由于不是那个时代过来的人所以实际上只能隔着时代看看。

于是后面好像很顺利的就和这位右边摊位的历战CM老兵聊起来了。虽然交换的是新刊和音游没有关系,但有趣的内容也还是能交流一些,然后和音游相关的内容也聊了不少。

后来甚至交流起了因病退坑的经历,然后变成了短暂的病友交流会(这种日常的词汇真交流不起来,不得不使用了机翻)。 然后就几乎聊满了整场CM,之后或许会在想起来的时候回来补充一些细节吧。

最大的帮助是,当开场时进场的大多数人都直奔主题的时候,聊起这会儿的销量全都是依靠宣传好闲啊之后,他帮我发了条推。后来才开始有人来。 当然宣传不是万能的,偶尔会有相关摊子全部看过去的玩家,其中有一位翻开音游通论之后手是开始抖的。这一刻,我知道我来对了,加上遇到右边这位,光这两件事,制作过程中的孤独也好辛劳也好,或者说对于坚持的怀疑,这样的票价就已经值回来了。

当然CM还在继续,后面陆陆续续他还向我介绍了在CM义务帮忙的经历,所以和他打招呼的许多人实际上也带着CM的袖章。其中有一个人我个人感觉有点像岩田聪,不过当着面感觉说这些似乎不太对劲,而且也不知道岩田聪日语咋说所以作罢了(。 最后CM在广播声中宣告结束了,全场鼓掌,我也跟着鼓掌。老哥寄走了东西还问我要不要快递单,我没填过,只拿走了他寄东西到会场的纸箱子(日本纸箱子十几人民币一个,还挺贵),然后CM结束了。

说来也巧,就在回国的飞机中转站,我拿着换回国内的手机卡,刷到的第一条视频就是讲nes俄罗斯方块通关(触发第几百关freeze bug的情形),对本书内容产生兴趣的话也可以通过链接里的视频了解一下,。

沙发日难民系列
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  • 有点长 缓缓 同样是坐在右边拼桌的老哥的作品
雷亚非官方fanbook
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  • 有点长 缓缓 极少数在会场拍的图(笑
所以我放弃了音游
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  • 有点长 缓缓
大概是最终卷卷十的行脚合志
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  • 有点长 缓缓
パカパカパッション机器分布情况合集
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  • 有点长 缓缓
鸽屋,参战comike103(存档)
  • 事情就是这样,我们申请了cm的摊子,抽选过了,差不多准备完了,可以去了。
  • comike全称comic market,大概是全球最大的同人志即卖会展,简称一般是comike,或者cm,甚至c+届数。比如说翻本子的时候那些标注出处的c98啊啥的就是指的这个展会了。每年两届,在东京举办。是的这次要专门出趟国。对于彻底没概念的玩家来说,当成是cp(comic up,上海每年两次的大型同人展)国际版也未尝不可。总之,我们将带着翻译之后的《音游通论》去今年冬季的cm会场。本届据说是规模最大的一场cm,只希望别出什么幺蛾子。
  • 不过比起担心cm组织方面的事情,翻译工作依然有许多事情要做。所以近期,店内的事情也好、网站的更新也好或许都会有些怠慢,请见谅。
  • 目前而言,《音游通论》日文版的初稿经历了近两个多月的翻译工作,已经基本完成,目前的状态也已经打印好放在店内。感兴趣的话,或者说、如果能提供一些意见的话,也可以来看看,在12月23日计划终稿付印之前,到店提供的任何建设性意见都会获得相应的回报:比如说鸽屋体验券,或者最终的成品,甚至vipass。
  • 啊?你问为啥要去cm?
  • 申请了,过了,那就去吧。
  • 不过作为潜在的谈资而言交代一下申请的情况也不是不行。申请时一般需要给comike官方写个五百字以内的小作文,写回中文的话大概是:
  • 因为曾经到访过c92会场,感受过当时各个社团的氛围,这也直接导致了后续的创作活动的开展,最终得以实现。于是在上海举办的cp28得以让《音游通论》呈现出来……于是想着是否有机会翻译成日语然后参加cm。
  • 或许正是因为有了这么一段小作文,这次的cm抽选顺利通过了。是的,往届其实也有参加,每次都抽选没过只退摊位费,申请的费用其实是不退的,中间也贡献了不少钱。这次的申请或许只是因为多了这么一段小作文才过的也说不定。这段文字在对话框前指明了是写给cm官方的,或许他们确实看了。
  • 也许正是因为申请截止日期前恰好有那么一丝想要回到cm的冲动导致了当时写下小作文的想法吧,最后导致了我们不得不花费一段时间,停下来,然后把以前的作品,翻译成日语,再带回去。在那里,或许能够提供什么创造出的东西值得我们去添砖加瓦,这最终吸引了我们凑过去看看情况。
  • 不过回过头来,让脚下的土地变成能够值得添砖加瓦的地方或许是一个更加长久的选择。(此处省略限时活动信息)。
  • 对此,创作过程同时预示着大量的精力支出以及未来的道路,自带制品进行交换也只是满足恰好参与其中的人罢了。如果手头有更加重要的事情的话,或者说,为了未来的可能性,还是先把自己该做的事情先照顾好吧。再或者说,创作这件事虽然能够带来超越音游收歌程度的快乐,但其实充斥着挑战,对于绝大多数人来说这或许不算是一条出路。创作,只适合对于自己参与的游戏心中有数之后,有相当把握的玩家。
  • 鸽屋也肯定创作环节,但请量力而行。 IMG 9482


音ゲー通論 初稿

  • 后续使用word排版+又校对了几稿,所以手上并没有md文件的成稿,所以就放初版上来了,里面问题相当多。如果需要看公开部分的成稿可以移步dlsite。

前書き

この本を読む人は、なぜこの著者が「音ゲー通論」というタイトルを名付けて、そしてなぜこれほど傲慢なのか不思議に感じるだろうが、この不思議さがくる前に、音楽ゲーム(以下略して音ゲーという)全体的に関して真面目そうに分析して、このような一冊を書くことに不思議を感じるだろうと思います。

その二つ目の不思議なことの答えとして、自己紹介を行います。私は「鸽屋」(直訳なら鳩の巣、意味がほしいなら「来ると言うけど結局来なかったひとの集める場所」。以下はハトヤと言います)の店員で、店内では「バナナさん」と呼ばれている。ハトヤは音ゲーをやれる場所ですけど、ゲーセンの1playx00円と違う、時間貸しサービスだけ提供しています。私の仕事は店内で音ゲーをやること(?) 。音ゲーをやり込みにより主に難しそうに見えるiidx dpをプレイしており、2日前に(自分が前書きを書くために、レベルの証が無いと気が弱いので、あえてプレイしてみました)BMS GENOSIDE2018 DP 段位認定 発狂六段に合格したところです。 普段、音ゲーをプレイするために来店する多くの友人たちと接する中で、音ゲーに関する理論的な考え方が少しずつ生まれてきた。 実は、音ゲーに関する何かを書こうという構想はずいぶん前からあったのだが、音ゲー上達するにはプレイしなければならないので、ゲームをやっているだけなのに、忙しくてなかなか書けず、ずっと先延ばしにしていた。

とはいえ、音ゲー通論のタイトルについては、書いてから考えてこの名前に変えたことになりましたが、当初は絶対にあえてこの名前にはしなかった。

結局、あえてそう言うことにしたのは、第一に、音ゲーという大きなフレームワークのもとで、各種の音ゲーの基礎から分析したりしたときに、見落としがなかったと思うことと、いろいろな音ゲーを想定して、それを自分が提出した音ゲーを分析するための新たなフレームワークの中に入れてみたところ、かなりしっくりきたような気がしたからです。音ゲー自体はそれほど複雑なものではないし、頭を使ってゲームをプレイして上達論というものを書いている人は本当に少ないので、このような薄い本でも、わかりやすく「音ゲーそのものは何?」を出してできそうな気がする。

もうひとつ、「通論」と名付けているのは、特定の音ゲーにこの一冊で絞っていないようにするからだ。 音ゲーは進化して多種多様なものがあるが、音ゲーをある程度のレベルまで上達するには、実はそれなりのやり込みが必要で、特定の音ゲーだけに力を注ぐプレイヤーが多くなっているようだ。 つまり、このタイトルは、特定の音ゲーを想定する言うことではなく、この一冊中で構築しようとしたこの音ゲーの一般的なフレームワークこそが、私の分析の焦点であることに語る。

簡単に説明すると、本作品では、音ゲーのフレームワークの構築と、プレイヤーが音ゲーをプレイしながら、音ゲーのプレイプロセスに対する理解をどのように構築していくかを論じている。 本書は「定義」「譜面」「判定」「応用」の4つのセクションに分かれている。 これらのセクションを理解することがプレイ行為自体に役に立つかどうかは別として、ゲームをより深く理解することの方が、ゲームの上達に役立つ可能性が高いと思う。 私自身の経験では、こうしたことを考えた末に上達したので、これからはプレイをするときに何に重点を置くかを積極的に選ぶようにすると、内省の効率が上がるかもしれない。 もう一つの考え方は、何かを考えてそして書くことが、音ゲーよりも空間的に複雑で、言葉を使うことに慣れて慣れるほど、より複雑な空間状態間の変化を少しずつマスターしようとしている可能性もある。

ハトヤ、そしてハトヤで出会った音ゲーについて喜んで話してくれるプレイヤーさんたちに感謝している。彼らなしではこの本はできなかっただろう。

私がハトヤにいるように仕事を続けることを理解し、サポートしてくれた家族にも感謝している。 それに加えて、最初の2章の下書きを読んだ私の母が、アートワークの手伝いを申し出てくれて、現在の表紙になりました。 もともとは濁心スカジを描き貰いたかったのですが、お母さんは引かなかたのて普通の方にしました。 乗っている黒い魚はEvans、jubeatの元ボス曲カバーのもので、覚えている人も結構いるはずだ。

飛び入りでCP28音ゲー部門(なぜかリズムゲーム部門という名前になってしまったが)を喜んで作ってくれたサークルさんとプレイヤーたちに感謝。

そして、ページをめくってくれた読者に。

2021年6月4日 南京 ハトヤ

定義編

私が考える音ゲーのプレイプロセス:

プレイヤーは機械から提供される情報をもとに操作エリアを操作し、機械はプレイヤーの行動を評価する。 図にすると ott1 図1 音ゲーのプレイプロセス

定義に関するさらなるメモ

私の音ゲーの定義が最終的に何をカバーするのか、あるいはこのパンフレットが一体何を論じたいのかをできるだけ説明的にするためには、定義の中に登場する様々な要素を検証するための余分な作業が必要だと感じている。というか、あるゲームが音ゲーかどうかは誰でもわかるが、その境界線はいったいどこにあるのか、ここではそれを論じる試みである。おそらく、ある程度の正確さのために議論するのに長い文を書くことは、多くの人にとって読みやすいとは言えないだろうが、私はそれを議論する必要性を感じ、その議論を冒頭にあえて置いた。 おそらくこの段落は、読んでいる間はとりあえず全部読み飛ばしてもらって構わないが、音ゲーにもっと力を入れたいと思っているプレイヤーの皆さんには、音ゲーとは一体何なのかについて、もっと考えてみることを強くお勧めする。 ott2 図2 音ゲーの境界線

プレイヤー

プレイヤーという言葉は自明かもしれないし、ゲームをプレイするという行為がたまたま主語を必要とし、その言葉が勝手に現れただけかもしれない。 しかし、例えば光学センサーとかによる譜面情報採取に従って、何かの仕掛けを連動操作し、過剰な精度で音ゲーを理論的に最高の判定を光るという行為を見ると、確かに「プレイヤー」が音ゲーをプレイしているようではない。実際、そのような装置のプレイ動画はYouTubeでアップロードされたし、機械が譜面の降りるパターンを分析することによってボタンを押すタイミングを見つけるのだが、これはプレイヤーが不在の状況と認めます。 もう一つの例えを見てみましょう。音ゲーの仕組みをまったく理解できず、キーボードとかのコントロールフィールドを譜面に無関係にタップする人の場合はどうなる。おそらく彼は、タップすること自体にも楽しさを得ているのだろうが、そのような行動をゲームをプレイしているとは呼んでほしくない。 この態度は主観的なものかもしれないが、私がここで伝えようとしているのは、プレイヤーという言葉には、機械が与えるフィードバックに従って自分の行動を徐々に修正していくという字面ではない部分が含まれているということだ。

機械

機械はコンピュータ一式のことだろう。 アンプラグ音ゲーは見かけないが、もしかしたら、誰かのために譜面を並べ、同時にその人の音ゲー風のプレイを観察し、そのプレイ結果に基づいて適切な判定を下すできる非常に強い人がいるかもしれないが、機械じゃないかと判断する。 そんな超能力者が存在するはずはないと思うが、先ほど記述にあるこの行動も音ゲーとみなすことができるのであれば、議論されているこの機械はコンピュータに限定されるものではない。 結局のところ、この推論によれば、教師が生徒に宿題を出し、後でそれを訂正する行為さえも、音ゲーの中に入れてもいいこととなる。 あるフレームワークを作って、そして様々な音ゲーを中に入れようと考えることは、いつのまにか話題が暴走し始めた。この考察が広い範囲に適していないことにしようか。もちろん、機械という単語が曖昧にすることなく、説明せずに直接機械とかなんとかに言うでも、読者はそのまま理解できるはず。これは本当にここでこの段落に最初の一言だけ書くと短すぎる。短いものは正しくないものと認めがちだから、少しだけ長めに書いた。些細な反抗としてちょっとした楽しみがあるのでご了承の程よろしく。

私は機械相手に音ゲーをやる

プレイヤーと機械という2つの要素の範囲について考察したところで、音ゲーをプレイするという行為に立ち返って考察してみよう。

音ゲーをプレイするとき、プレイヤーは私であり、私は譜面に触れ、操作エリアと対話し、記号の予示するものを参照しながら入力し、評価を受ける。 (この場合の「私」とは、プレイヤーが観察した一人称視点の自分という意味であり、代入してプレイしているふりをすることもできる)

私(この場合の「私」とは、記事を執筆している人で、なかなか代入しづらい)も、プレイヤー視点から観察したいろいろなことを論じようとしていて、分析する際には主観をできるだけ排除したいと思っている。 主観をなるべく排除した上、私は分析するとき、自分をプレイヤーとみなしていません。 でも、実際に音ゲー経験が結構もっているし、プレイヤー視点でなくても私はプレイヤーとみなすことはできそうだ。 今言った「私」も含めて、言葉が曖昧で面倒。 そうでなければ、「音ゲー」の定義をこだわる必要はない。

音ゲーをプレイしている私が触れるものはすべて、定義の中の機械によってもたらされる。 では、私にとっての機械とは何なのか。

直感だけで見れば、機械は私に譜面を投げ続け、私の入力状態を分析し続けるものだと考えることができる。 コンピュータの中身がどうなっていて、どのようにプログラムされ、どのような機能を果たしているのか、おおよその見当はつくものの、ここで正確なことにこだわる必要はない。このハードウェアやソフトウェアやその他もろもろの部分を徹底的に分析することで、どうやらプレイヤーに音ゲーをプレイしているような感じさせたのかを解明できるかもしれないが、ちょっと本題から外れている。 ここで少し実用主義の考え方を応用してみよう。機械そのものについては何もわからなくても、スイッチが入り、電気が点けばそれでいいのだ。 もしかしたら、どこかで読んだ画像のように、コンピュータ画面の後ろの黒いケースの中に見れば、あら不思議、本当に7人の小さな天使がゴミ使いのように音符を捨ててきて、そして譜面になる。より一層研究がしたら、不正解の可能性があることを意識して、このままここで止めましょう。 ott3 ott15

図3 実用主義的思考

というわけで、機械だけでなくプレイヤーに関しても、それ以上に分析しなくても、話題が進めるということなのだろう(機械が作動不良の時スタッフさんに呼びましょう)。

提供される情報

提供される情報は、商業目的や製作者の趣味で盛り込まれる演出効果や視点変更などの動画要素や、キャラクターの絵などを除けば、単に譜面と呼べることかもしれない。 これらはプレイ中の体験を豊かにするかもしれないが、音ゲーという概念に必要不可欠なものではない。 提供される情報には、おそらく音声の一部も含まれるだろう。 例として、グルーヴ・コスターの譜面には隠し音符がある。機械がプレイヤーに何を入力させるかは示すことが完備していないので、曲のリズムに合ったボタンを自由に押してみると、隠し音符に当たることがある(もしくは暗記)。 図4 グルーヴ・コスターの隠し音符

Sound Voltexのある曲には、エイプリルフールの譜面があり。この譜面の一部分の音符が旋律のピッチと対応し、曲の「Listen」セクションにて特定の旋律が流れ後、「Go!」のセクションにて対応の鍵盤を叩く必要がある(もしくは暗記)。MaiMaiも譜面が一切なく、メトロノームが徐々になくなる音声だけの曲がある(もしくは2pを低難易度で譜面参照)。 ですけど、そのような例があったとしても、市販されている音ゲーの大半は、提供される情報が譜面に限っでいる。普通にうまい人は「自分が譜面を暗記してプレイする」とか、「なんちゃって」とか言う場合があるけど、暗記が音ゲーの主要な側面ではないと思う。 さらに、異なる楽曲を区別し、より聴覚的に心地よい組み合わせ方を選択するゲームも「音楽ゲーム」と呼ぶことができそうだ。例として、Digital Tentacleさんの『Circuits』では、さまざまなくぎり音声を音楽的に適切な場所に配置することでプレイしますが、このようなより音楽に近いゲームプレイは、情報が音楽以外表示していないためここで触れたい内容から割愛。 そこで、今はこのことを迂回し、以降の段落で、譜面は機械がプレイヤーに提供するすべての情報として仮定しよう。

操作エリア

操作エリアはプレイヤーが譜面にしたがって何をしたかを機械に伝えるために使われる。 機械の考え方によれば(存在すると仮定しよう)、プレイヤーがプレイ中何かが着けているのは音ゲーと無関係とし、機械に認識されるべきではなく、関係のない他の行動とともに除外される。 とはいえ、誰かが曲のBPMの変化による低速パートに対して視覚を抑制するためにダックテールを着用するかもしれないし、より良いスコアに到達するために2人以上で操作エリアを共有するかもしれない。機械自体はどちらに対しでも疑問を持たないだろうが、他のプレイヤーは特定のギミック対策に異議を唱え、2人でのプレイを不正行為と認定するかもしれない。 ゲームが設計されたときに考慮されなかった、あるいは考慮されることを意図ぜずに、先ほど言う機械の考え方となった。 つまり、この操作エリアに含まれる最終的な範囲は、プレイ行為が始まる前に決定された。 4鍵盤のドロップ式音ゲーの場合、最初から最後まで4番目のトラック目に音符が来なくても、4番目とそれに対応する操作エリアは存在することとなる。Pigeon GamesさんのPhigrosにて判定ラインが時間経過とともに移動したり回転したりすることがあったとしても、操作エリアは譜面に基づいてあらかじめ決定されることになる。 操作エリアはボタンであったり、JUST DANCEのようにカメラやジョイスティックの動きからプレイヤーの動きを読み取り、センサーを通じて間接的にプレイヤーの行動を読み取るものであったりするが、これも今回議論したい操作エリアの一部と考えるべきだろう。 操作エリアそのものについては、ここで分類して詳細に検討する必要はなさそう。 音ゲーのコアな判定過程にとって、操作エリアはあくまで中間的なものであり、すべてが正常に動作することは当然のことであると見なす(時にゲームセンターのスタッフさんに呼び必要があるが)。操作エリアに関するより詳細な分析については後述する。

操作

操作に関しては、プレイヤーが機械に入力し、その後の分析・判定のために行う動作に限定し、ゲーム中に帽子をかぶったり、音楽に合わせて体を揺らしたりするような動作は除外したい。 これは少し循環論証のようなものが混ぜたかもしれないが、プレイヤーは操作エリアであらゆるアクションをしていると同時に、機械はどのアクションが操作かを操作エリアでフィルタリングしているのだから。 この循環論証の感覚は、まるで別の言い方で操作と操作エリアをもう少し明確にできるはずだと暗示しているが、今のところまだ考えつかない。 もしかしたら、私が考えている枠組みでは「操作エリアを操作」はそもそも一つの概念で二つ割り出ないものだろうか。 あるいは、プレイヤーを抜きにして操作を語ることはできないし、プレイヤーがあると、主観的な意見が多数出る。それはいけないので、話したい部分と話したくない部分を区別するために、操作と操作エリアをあえて分別しているのかもしれない。

評価

ゲームをプレイする際にプレイヤーが受けるフィードバックは非常に重要であり、評価は音ゲーの仕組みに関わるフィードバックと解釈できると感じている。 評価には、プレイヤーがひとつのキー入力をしたときの評価や、プレイの出来をゲージで示し、ゲージがゼロになるとゲームから投げ出されるというゲームのルールなど、成績画面に含まれる一連のものがある。 もしかしたら、プレイヤーのプレイ履歴から算出される総合的なレベル値も含まれるかもしれない。 一般的に、音ゲーの枠組みの中で、評価システムは、プレイヤーが時間的にも空間的にも可能な限り正確な行動を行うことを期待する。 空間的評価とは、プレイヤーの入力が操作エリアで行われた場合にのみ機械に認識・判断されることを意味し、時間的評価とは、システムが判断する時点において、プレイヤーが可能な限り正確な入力を行う必要があることを意味する。

以上、音ゲーのプレイプロセスを5つの要素にまとめてみたが、これがそのプロセスであるという意味ではなく、あくまで私が考えるプロセスをまとめたものであり、私が気づかなかった重要なことを見落としているかもしれない。

アイワナも音ゲーなんですか?

実は、ハトヤでプレイヤーたちと話した後、現在議論されているこの定義は広すぎるのではないかと気づいた。 例えば、東方プロジェクトのようなシューティングゲームや他の2D横スクロールゲームを見ましょう。そのゲームプレイを検証してみると、機械が情報を提供し、プレイヤーの操作の結果を評価するという同じモデルを使って分析してみましょう。 ゲームI Wanna Be the Guyとこのゲームにインスパイアさてたアイワナシリーズ作品(プレイヤーが矢印キーとジャンプキーだけを利用してkidと言うキャラを制御し、特定のいばらの山で前進する。もちろん、畫面上のヒントのない理不盡要素もあるけど、ここで一旦無視します)について考えると、プレイヤーは、畫面を見て、入力して操作を出す。そして機械がkidがいばらにぶちこむするかどうかを判定して、ゲームオーバーになるかを評価する。ぶち込んでない場合、kidは生き残る、でないとゲームオーバー。 ott6 図5 アイワナシリーズ

この違いはおそらく、プラットフォーム中の移動可能なルートがプレイヤーの解明が必要する。それに対し、音ゲーの譜面が提供する情報は翻訳を必要とせず、はるかに単純であるということだろう。 おそらく、アイワナ中の難易度の高いジャンプパターンは、より低い誤差許容空間を意味するのだろう。生き残る可能性のある結果は、やはりいくつかの操作の連結によって得られる範囲である。

例えば、キー入力を記録する小さなソフトウェアを見つけ、プレイ中にキーボードの入力信号時間をかけて選別し、特定のレベルのアイワナに必要なすべてのキー(例:上、下、左、右、ジャンプ)について、ゲームクリアための5鍵用の「譜面」を作成することができます。 ott7 図6 プレイヤーのプレイ記録

もちろん、この「譜面」はプレイヤーのプレイスタイルを記録したものであり、それに従う必要はない。 それに対して、音ゲーマーの入力も記録することができる。 音ゲーの場合、機械が判定する基準は固定されているが、プレイヤーの操作ははっきりそうではない。アイワナを通過できるように想定されている5鍵の譜面のような結果は、多くの状況があるし、ある程度でランダムであるかもしれない。例えば、休憩エリアでぶらぶらする、この休憩の時間は完全にプレイヤーの判断に任されている。 おそらく、定義における操作エリアに関する制限によって、この2つを直接的に区別することができるだろうが、きっとこの区別は、この定義をもう少し美しく書くために、何かもっと適切な方法で記述すべくことに示す。 アイワナ(あるいは、東方プロジェクトのような、精度の高い操作を必要とし、一緒に議論されている他のゲーム)が音ゲーという冗談を言うなら、必要であれば、この段落を反論として使うことができるだろう。

ダンシング・ラインズも音ゲーなのか?

ダンシングラインが音ゲーかどうかを議論する分析を挿入する必要性を感じる。これは音ゲーの外延がどこまで拡張されるかに関連するものであり。評価編より、ここに置いておく方が適しているかもしれない。

まず、私のこの枠組みでは、ダンスラインは音ゲーではないという結論から始めよう。 連続する2つのコーナーを通過しようとする場合を考えてみよう。 ゲームの設計上、線は一定の速度で伸びるので、壁の幅は判定の幅を意味し、異なる時点で2つの異なる入力を行った後、線がゲームの設定した判定区間内に位置できるかどうかを議論することができる。 ott10 図7 ダンシングライン

ここで、基準時点は線がフィールドの中心を通過する瞬間に位置し、前の操作の結果は次の操作が通過できる時間範囲に影響し、最終的に平行四辺形として描画できることがわかる。 つまり、2つの入力の時点が連動して最終的な結果に影響を与えるということだ。 私が分析している音ゲーの外延では、プレイヤーが期待する最終結果は範囲ではなく点である。 私の側では、音楽のリズムに基づいてレベルをデザインする1Dアイワナゲームであるダンシングラインは、この音ゲーの定義から除外されることを期待するである。 ott11 図8 レベルをパスできる時間枠

もちろん、だからといって音ゲーと呼ぶことを止めるわけではない。ダンシングラインは評価の新しい方式を設計した音ゲーとも言える。 ただ、音ゲーの範囲を議論するときには、どこかで立ち止まる必要があり、ダンシングラインはその境界線近くに位置しているので、音ゲーの概念の外側の限界を、小さめに区切るラインを引いてみました。

ラインを明確に引くために、よく考えてみると、定義にもう一つ要素を加えようと思う。記号の予示する内容である。

記号の予示する内容

記号の予示する内容を分析することは考えていなかった。なぜなら、音ゲーに慣れ親しんでいるプレイヤーにとっては、音符と言う記号が何を意味するはもう当たり前のことにしたことからだ。音符が落ちてきて、判定ラインに落ちる瞬間に、対応するボタンを押すことが期待されている。 音ゲーを始めるときになかなか合わせないが、それにしなければならない。そして上達するうちに、いつのまにか、当たり前のことになっている。具体的に分析しようと思えば、スマホを使っているときに、下に引くメニューを出す、上に戻すアプリを閉じるなどの記号とその記号の予示することに対して、なぜ例えば高齢の方はそのような意識を持たないのか。その記号と動作を対応させる意識は一体どこから来るのか、というところまで遡って検討するのが、初歩からの研究になるのではないかと思う。 これは分析する価値のあることだと思うが、ここではないし、すでに詳しく分析されているかもしれないのだろう。

しかし、そこまで深く調べるつもりがないのであれば、音ゲーを始めるときに何が起こるのかを調べてみてもいいかもしれない。 あるいは、前述した音ゲー内の他のコンテンツに興味を惹かれ、音ゲーを試してみたものの、仕組みのせいで掘り下げなかったプレイヤー、いわゆる完全素人の状況。 彼らはボタンを押してみて、おそらく曲について自分なりの考えを持ち、馴染みのある曲の一部だけを巡り、ボタンを叩きながら曲調を口ずさむこともできただろう。 しかし、残念なことに、このゲームのボタンは、人が歌うときに集中するメロディに従ってボタンを配置するとは限らない。 譜面を取り違えたようなもので、もしかしたらその曲をそのまま歌えたのかもしれないが、プレイヤーが歌うのと同じようにボタンを押すのは、この記号が望んでいることではない。 その結果、最終的な評価は非常に悪いものとなり、彼はそれ以上挑戦せず、コンソールを後にした。 彼にとっては、音楽に興味がないからゲームをあきらめたのではなく、ノーツが判定ライン上に落ちるということが、この仕組みでは本当に問う必要のないことだということに気づかず、言われたとおりにプレイしなかった。

アップデート後の定義

音ゲーとアイワナの比較とそれを契機に行われたいくつかの研究は、おそらくこの定義をもう少し正確に書き直し、音ゲーを他の何かと区別しているようだ。 また何か漠然としたものが出てくるまで、ここで一旦休憩。音ゲー研究は自然科学ではないが、この一文はここにふさわしくないとは思えない。『要するに、事実は事実であり、もしそれが予測に合致して現れたとしても、それは我々の自由な活動の結果ではない。 未加工の事実と科学的な事実との間に正確な線引きはなく、ある事実の定式化が他のものよりも粗野であるか、逆に科学的であると言うことができるだけである。" (ポアンカレ『科学の価値』)

上述したことを(長い限定詞の多い文章が嫌いでなければ)少し補足すると、プレイヤーは提供された情報に基づいて、あらかじめ決められた対応する操作エリアに対して、その情報が予示する内容とできるだけ一致するような操作を行い、機械は予示された内容に基づいて、プレイヤーが情報を参照して行った操作を評価する。

では、現在手元にあるこの定義を合理するものとし、続いて分析して見よう。

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